オーストラリアにて

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バンダバーグ


一番長く滞在した場所。
一番働いた場所。
ダイビングのライセンスを取った場所。
オージーと初めて友達になった場所。
一番テレビを見た場所。
唯一酔っ払いにからまれた場所。
初めて黒人の友達ができた場所。
唯一ドミトリーで2ベットだった場所。
帰国を決心した場所。
初めてポッサムをみた場所。
この街で唯一の観光である亀の産卵をみなかった場所。
出国手続きのときに長く滞在した場所を記入するところで、バンダバーグと書こうとしたら、文字数が足らなかったので、愛称の「BUNDY」と書いといたけど、なんの指摘なかった場所。

この街は僕にとって豪州生活のすべてだといっていいほどの街だ。
初めは相部屋のカナダ人とはポツポツと話をしてるぐらいの
希薄な関係だった。というのも、カナダ人はすでにここに
3ヶ月ぐらい滞在しており、いろんな友達があちこちにいるので、
片言の英語を話す僕と仲良くするメリットなんかなかったのかもしれない。
しかし、後半はそんな彼とも、暇があったらボトルショップでビール買って
ビヤホールで下ネタばっかりの話をよくする仲にまでなった。
(男と男の下ネタ話は万国共通なのだろうか。。。)

その彼の彼女が日本人だったことも丁度いい具合に僕のオーストラリア
生活を演出してくれた。
というのも、僕が滞在していたバッパーは「Central」といって
日本人が僕以外まったくいないバッパーだったからだ。したがって、
その彼女は貴重な日本人からの正確な情報源だった。僕自身も彼女にとって、
カナダ人の前でどうどうと恋愛の相談に乗ってあげれる相手だったのかもしれない。

この宿にきた瞬間にミスったと正直感じた。しかし、ここは英会話を上達させたい
僕にとっては絶好の穴場であった。ここバンダバーグには僕の知りうる限り4つ
バッパーがあるがそのうち「Federal」「City Center」「バスセンターの前」は
日本人がうじゃうじゃいるからだ。別にうじゃうじゃいるのが悪いわけじゃないが、
少しでも早く英語を上達させたいと考えていた僕にとってはマイナスポイントなだけ。
やる気さえあればどこでも一緒だろう。
※正確にはバッパーは少なくとも5つはあります。あと「Eastern」だっけかなぁ。

<バンディーバッパーの感想>
(1)は3週間ぐらい滞在。(5)以外はちょこっと行ったことあり。

(1)Central
2ベットルームが多い。街の中心に近い。ピッキングのウェイティングが少ない。オージー(日本でいう出稼ぎみたいな方々)が多い。木金はグランドフロアのパブが26時ぐらいまで爆音をだしてる。

(2)Federal
キッチンが使いやすい。日本人が多い。隣りにボトルショップがあり便利。アジア人(日本、韓国、中国等)が多い。11月でピッキングのウェイティングあり。

(3)City Center
「Federal」の経営者の親もしくは子が経営している。宿泊者数に対してキッチンが狭い。隣りに美味いチップスを出す店がある。
(オプションでチーズがうまい。グレイビーソースはまぁまぁ)ダイブショップ(SALTY'S)に近い。11月でピッキングのウェイティングあり。

(4)バスセンターの前
バスセンターに近い。ビデオ上映会みたいなものがあるみたい(?)ダイブショップ(SALTY'Sじゃない方)に近い。

(5)Eastern
街から極めて遠い。日本人が少ない。

<バンディーTIPS>
・図書館でインターネット利用無料。要予約。(日本語表示可、日本語入力不可)
・亀の産卵を見に行くのはツアーじゃなくて3,4人でタクシーで行った方が安い。
・土日はIGAぐらいしか開いてない。
・ダイビングライセンス(オープン)を$169前後で取得可能。ダイブショップ2つ。
 (+ドクターチェック$50)
・この辺りの海はサーフィン不可。
・TAFEがある。

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バス旅行


 僕はオーストラリア滞在の中でどれほどの時間バスに乗っていたのだろう、24時間前後のものが2回ぐらい12時間前後の区間が8回ぐらいあっただろうか。えっ、それだけでも6日間だ。それだけ聞くとぞっとする。。。。。それだけいれば、バス中ではいろんな登場人物そしてドラマがある。

 子供を連れてきている運転手(アデレード to メルボルン)。めちゃくちゃお茶目な声でみんなを笑いの渦にしてしまう運転手(東海岸)。めちゃめちゃでかい人が隣りに座って肩身の狭い思いをしたり。近くで日本人が日本語ででかい声で話続けられて不快な思いをしたり(アリス to アデレード?)。2階だてバスがあったり(アデレード to シドニー)。人によってはバスがカンガルーをひいてしまって目的地まで相当時間がかかってしまったりした人もいる。なんといっても僕が経験した中で一番のハプニングはバスの故障。マウントアイサを出発して5分もしないところでエアサス(専門用語はよく知らないけど)が壊れた(?)かなにかで真っ暗闇のなか立ち往生となった。幸いマウントアイサのバスステーションからすぐのところだったからか、1時間後には代替のバスがきたのでそれでテナントクリークそしてアリスへと向かった。なにかあるたびに これは映画にできるっていつも考えながら旅をしていた。この辺の題材はやはり故伊丹監督か竹中直人あたりの人に製作してもらうのがいいかもといった具合に。

 バスの中ではいろんなビデオを見ることができた。「シュレック」「フィフスエレメント」「クロコダイルダンティー」「RETURN TO ME」(2回)「SAVE THE LAST DANCE」(2回)「キャッツ&ドッグス」ほかにもまだまだ。「シュレック」が一番うれしかった。丁度日本で上映しているものだし、アニメーションということで幾分わかりやすい英語で話しをしていたんじゃなかろうか。(まぁ、ほとんど聞き取れてはいないんだけど。。。)とまぁ、長距離バスの時間の過ごし方の一つがビデオということになる。

 いったいバスの中で何してただろうか。はやりほとんどは睡眠ということになる。そういえば、オージー達?は枕をもってバスに乗る週間がある。バスセンターを枕をもってうろちょろしている姿は僕にとっては滑稽にみえてしまった。なにもバスに限ったことではないが、オージー?西洋人?外国人?は異常なぐらいに寒さに強い。オーストラリアにたつ前に、サーフィンのウェットの話か何かでオージーが着ているものを私達日本人は参考にできないといった話を読んだことがあるが、まじまじと感じていた。そうすると、結果的に、、、、バスの中は、、、非常に私達日本人にとっては寒い。寒すぎる。バスの中での寒さ対策はいつも慎重にならざるおえなかった。シュラフを持ってバスに乗り込む人は少なくなかった。横道にそれてちょっとシュラフの話を。僕はシュラフを持ち歩かなかったが、一つ持っておくとすごく便利。バスの中。ブランケットを借りるの有料な時(シドニーバッパー)。ブランケットを借りわすれたままで実は自動空調で温度調節ができなかったとき(マウントアイサ)あとバスの中ですることといえばCDプレーヤーによる音楽鑑賞。あと読書。僕はもともと乗り物に弱い 方であるが、時間を無駄にしたくないと思い昼間に時間があるときは読書などしていた。当然気持ちわるくなることもあるので、すかさず読むのをストップするといった具合だった。慣れると以外とできるようになるもんだ。またまた、横道へそれるが、僕はオーストラリアにくるまで冷たい牛乳を飲めなかった。飲めたけどお腹を壊していた。しかし、オーストラリアでの貧乏生活を決心していた僕にとって、安い栄養源である牛乳にトライすることになる。これが全然OK☆日本に帰ってきて牛乳のんでもOK。いったいなんでお腹を壊していたんだ。さっぱりわからん。

 僕はバス旅行で3つのバス会社を利用することになる。まず、シドニー to ケアンズは「プレミア」。ケアンズ to アデレードは「マカファティーズ」。アデレード to シドニーは2階建てバスの何とかといった具合。少しでも安く済ませようとしたので、東海岸は東海岸のみ走っているプレミアを選択することになる。シドニーからケアンズまで「ONE WAY」「NON LIMITED」では一番安い。しかーし、ブリスベン to ケアンズは1便しかないというデメリットが。したがって、目的地に到着するのが真夜中になってしまうといったことが起きてしまう。そんなときでも、バッパーへのチェックインは事前に予約するときにいつつくと行っておけば問題ないでしょう。バッパーの方でバスの到着時刻は把握してるので、その時間にピックアップできるようにする体制を作っているところが多いからだ。(テナントクリークに到着したのは夜中の3,4時だがバッパーの人が向えにきたりしてたし)

 旅の期間や目的によては「キロパス」と呼ばれるものを買うのが一番かもしれない。複雑なルートによる旅、同じ都市間を往復してそれからラウンド、旅の途中飛行機などを使うとき、途中のルートを移動付きのツアーに参加するとき、いきなりリフトする可能性があるなどだ。僕が出会った人たちはほとんどの人が「キロパス」を利用していた。これを購入するときには初め何キロ購入するかが問題になるだろう。キロ数が多ければ多いほど対キロコストが安くなる。かといってキロパスは本人しか利用できないため、余ると無駄になる。パスポートなどで本人確認しない場合があるみただけど。。。大都市とかでは結構確認してるみたい。よってキロパスの売買はしない方が無難でしょう。YHAの会員カードで結構安くなるので必ず提示すること。

 僕の旅を以下の各都市に連れて行ってくれたバスに感謝。
「シドニー」「コフスハーバー」「バイロンベイ」「サーファーズパラダイス」「ブリスベン」「ヌーサヘッズ」「バンダバーグ」「フレーザー島」「ハービーベイ」「アーリービーチ」「ケアンズ」「マウントアイサ」「アリススプリング」「エアーズロックリゾート」「キングスキャニオンリゾート」「アデレード」「ブリスベン」

<ハプニング1>
アデレード to メルボルンで面白いことがあった。それは運転手さんが乗客に「歌を唄わないか?」「ジュークネタを言わないか?」といったアナウンスが流れたんだ。さすがに反応はなかった。そうすると、一人の男性が持ち合わせていたハーモニカによる演奏会が!まずまずの演奏を無理やり聞かされるはめに。そして、最後は運転手が自分の本を取り出して「なぞなぞ」を言い始めた。ちょっとハリキリすぎじゃないかと思った。が、子供のパパの職場参観なのかいつもそうなのかしらないが、子供と一緒だったのでパパの仕事っぷりをみせてあげようとしていたのかもしれない。そう考えたら、僕もはりきっちゃうだろうなと納得したのであった。

<ハプニング2>
 バス乗客に日本人が居合わせることが多々あるのだが、すぐ後ろのシートででかい声だ延々と話された日にはまいった。あいにく日本語は集中していなくても耳にはいってくる。しかも、話の内容がなんかいろんな物事(メインは乗り合わせたアボリジニー人)に対する不満をたらたらと。その話のなかで「運転手さんの後ろのシートで携帯電話で話をしてたら怒られたんだ」ちゅう話をしていたが、うんうん運転手さんがあんたが正しいと思っちゃった。

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ピッキング Vol.1

 近年中国系のピッキング集団が横行している。ちょっと昔に、ワイドショーとかでもよく取り上げられていたので、だいぶん一般の人も警戒心がだいぶんでてきているんじゃなかろうか。ちなみに、アパートとかで縦穴の鍵(しかもMIWA製。シェアがあり有名な会社)なんかだとすぐ破られてしまうみたい。ピッキングにあい何かを失ってからでは遅いのでビーケアフル。ちなみに、なにか盗難にあった場合は、アパートとか入居時にはいる住宅総合保険(火災、水漏れ等)で補えることがあるので要チェック。

 って、そのピッキングじゃねーよ。ワーホリでピッキングといえば、フルーツピッキングのこと。けどまぁ、フルーツばかりじゃなくて、野菜とか綿花とかいろんなものがあるけどねっ!僕の場合は、ブリスベンでどうしても仕事がしたくて、バスセンター内にある仕事斡旋業者に依頼をした。聞いてみると一応公的な斡旋機関とのこと。すぐあるって!すぐ了承。その場所は「バンダバーグ」。日本で普通に生活していたら、絶対聞くことのない街。僕はブリスベンのYH(ミニワーホリ生活で最後のYH)で一緒になった日本人から少しは話を聞いていた街だ。その彼は、サーファズ在住で時間があったからバンディー(バンダバーグの愛称。以下バンディーとする。)にダイビングライセンスをとりにいった帰りだったらしい。ほぉ〜 どうもオーストラリアで一番安くダイビングライセンス(おそらくオープンのみ?)を取れるのだと。本当かどうかはよくわからんが安いのは確か。

 まてよその彼がTFN(Tax File Number)がどうのこうの言っていたな!と斡旋機間の人に必要かどうか聞いてみると、「もってないのか?絶対必要だぞ!すぐとれるから取りにいってこいと!」これは申請できる都市がある程度限られているのだ。バンディーではとれないようなので、ブリスベンでとっておけてぎりぎりセーフ。申請の紙も、わかんない文章単語の説明は、係りの人に逐次質問。あきれた顔をせずに親切丁寧に教えてくれた。すごくうれしかった。

 TFNとるときの注意がある。この番号は申請時すぐ教えてもらえるものではなく、送って欲しい住所に後日送られてくるものだ。僕はホームステイもしていないし、郵便物を預かってくれたり、転送してくれたりする会社のメンバーにもなっていなかった。ということで、郵便局止めに!(予定が決まっていない旅をする人は年会費3000円とか払って前述の会社のメンバーになっておいた方がいいだろう。というのも、旅先のバッパーなり郵便局なりに転送してもらえるからだ。しかも、その他荷物預かりとかいろんなサービスも含まれるからだ。)

 さてさてこれで準備万端かとおもって、ふと「支払いは現金払いか」斡旋機間の人に聞いてみると、「いや銀行振込だよ」と。げげげー。ってことは、休日とかの関係で仕事初めはだいぶん遅れるなぁ。と、斡旋機間の人の前で、ひさびさがーっくりしていたら、いままで杓子定規な人だったがいきなり、「大丈夫!だいじょうぶ!予定どおりいくよ!これからでも間に合う。がんばりな!」って、それを聞いてブルーな気分が晴れた。その彼女から僕にとってどこの銀行がふさわしいかアドバイスをうけ、何が必要か、どこに窓口があるかっと親切丁寧に教えてくれた。感謝かんしゃ。もちろん英語はゆっくり話してもらいながら。結局、彼女と同じANZで口座を開くことにした。テンポラリーのカードはすぐ作ってもらえた。正式なカードの送り先もまたTFNと同じ郵便局にしといた。

 技術的な話だが、ANZではWindowsNT4.0(おそらくWorkstation)にホストのエミュレータで口座等々の管理を行っていた。行員さんがアクセスしている途中でエミュレータかなにかがフリーズ!!そこで、一応金融系SEだった僕はいろいろアドバイスをしてみた。結局、再起動をすることに。再起動の間は行員さんと世間話をしていた。「最近、システムが更改されて なんかまだよく使いなれてないいんだよねー」といわれたり、「システムが更改されたときはバグがよくでるもんですよっ」(って言ったつもり)やら話していた。こういった場所での世間話ってなんか楽しいと思った。なぜかようわからんけど。あと、オーストラリア入りして覚えた「〜 open my account」という表現とかが使えたりして、勉強したことがそのまま生活で活かされるっていうのは気持ちがいいもんだ。

 これで万全。あとは仕事を始めるだけだ。どんな宿に泊まるのかという不安を抱きつつブリスベンをあとにする。

[Vol2.へつづく] | [このページのトップへ]

ピッキング Vol.2

 ブリスベンからバンダバーグへ向かった。この区間一番安いバスを利用したため、到着は夜10時過ぎだ。事前にブリスベンの斡旋機間でピックアップしてもらうための連絡先を教えてもらっていたのだが、深夜のピックアップは初めてだったので、本当に大丈夫か不安でたまらなかった。(実際バッパーによるピックアップは初)バンダバーグで降り立ったのは2人。げっ、こんな場所大丈夫なのか。。。バスセンターは締まっていて、待合室だけが寂しげに光っていた。降りたもう一人は奥さんと子供と久しぶりの対面で抱き合って、子供は満面の笑顔。愛くるしく子供っていいなぁーなんて思ったりもしていた。バスには何回にものったが、そこには日本とは違った光景が幾度となく繰り返されていた。それは、みんなさまざまな枕を持っている。ちょっと滑稽。これは確かに衝撃的でした。が、それ以上に心に残っているのは、長距離バス待合所では旅もしくは引越し等で遠くにいってしまう家族と抱き合っているシーンがいつも繰り広げられていたことである。うーん。僕は親とはできない。日本人は愛情表現がヘタなんだろうなぁ〜って感じていた。(彼女もしくは将来できるであろう子供とはで きる環境にしたいと思っていた。)

 ピックアップされてバッパーへ向かった。施設の案内をしてもらうと、そこには史上最悪のバッパーが目の前に広がっていた。うわーきったねぇ〜キッチン、きったねぇーバスルーム、薄暗いフロア、電気のつかないトイレ。すぐ出ようと思った。まさかこのとき、ここに1ヶ月近くいるなんて想像すらしてなかった。

 部屋でベットメーキングしてたら、相方が帰ってきた。しかも、彼女つれて。ぬぬぬ、ここは愛の巣窟かぁ。彼はカナダ人。が、話をしてみると彼女は日本人。びっくり。へ〜。やっぱり日本人&外国人のカップルっているんだね。のちのち彼女が僕らのいい潤滑油で、楽しいバンディー生活が始まることになる。

 って、まだピッキングのことだしてねー(笑)。で、ファームで働くにあたってまず自分の連絡先、TFN等を書きこむものとと振込先を書きこむ2種類のフォームを渡された。振込先はなんとか書きこめたが、前者の方は英語をちゃんと理解できなかった。(お恥ずかしい)ということで、バッパーの人に説明をうけながら一つひとつ入力。この用紙はファームが変わる毎に必要になってくるから、ピーコなりメモなりとっておくといいだろう。(僕はのちのちメモを取っておくことになる。)

 すぐ働く場所がきまった。働く場所はバッパーの掲示板にファーム名と氏名が一覧となって張り出される。僕はトマトのピッキングにきまった。朝4:30にお迎えのバスがやってくる。げげげーはえーよ。とびっくりした。が、これは日が昇り初めたと同時に作業が開始できて、すごい効率的なのだ。というのも、9,10時になるとお天道様は猛烈にサンサンと照り始めるのだ。これがより一層僕達の疲労を増幅させてしまう。朝一から作業を始めるのは当然だと思えた。

 仕事のアイテムはこんな感じ。「 捨てていいTシャツ」、「汚れていいパンツ」、「ボロボロになっていいスポーツシューズ」、「日焼け止め」、「帽子」、「手袋」そして「水」「食料」。これは必ず準備する必要がある。ファッション性なんかこだわれません。

 1)Tシャツ・・・泥、葉っぱの色、採るものそれらの色がしみつきます。2枚も3枚ももってなかったし買いたくなかったので、毎日シャワー時にTシャツ、靴下は洗っていました。体を洗いながら、足でふみふみ。そして、僕はピッキングをもう2度といないだろうと思ったとき捨てちゃいました。汚れが目立たない色は、当然のことながら黒、茶色でしょう。僕は青でした。まぁ、汚れたらよごれたで仕事を実感したなぁって実感できるもんです。

 2)パンツ・・・下半身はほとんどみな短パン。じゃないとアツイアツイ。僕はしょうがなくあまり気に入っていなかった水着で仕事することにしました。

 3)シューズ・・・これはみんな様様。正直ビーサンでもブーツでも可能だと思います。ただ、疲れがちがうはず。僕はシューズ一つしかもっていってなかったので、しょうがなくこれをはきました。あまり汚れが目立ちづらいあずき色のスポーツシューズです。ぼろぼろになりソールのゴムがべらっとはげたりしました。高いものしかない人は激安シューズを買った方がいいでしょう。

 4)「日焼けどめ」・・・必須。念入りにぬること。汗で流れてしまうから、ファームへ持参しましょう。SPFはがんがん高めで。

 5)「帽子」・・・必須。僕はキャップをもっていたのですれを使いました。が、ハットがあればそっちが絶対いいと思います。耳そして首を覆ってくれるし、太陽が真上に来たときは体全体も結構覆ってくれます。正直僕は買おうか悩みました。

 6)「手袋」・・・必須。手袋つけないオージーもいましたが、絶対つけるべき。爪の中は泥だらけになるし、こびりついた汚れはなかなかとれません。手袋といってもいろいろ種類があります。僕はなにもっていけばいいか不安でした。オージーの友達がかっぱらってきた使い捨てゴム手袋をくれたので、僕はそれを使い捨てで使ってました。結論としては、使い捨てじゃなくて少々値がはっても、頑丈なゴム手袋がいいと思います。使い捨て手袋は1日もたないことが多々ありました。いつも予備をもっていったので、頑丈なゴム手袋が1セットあればOKでしょう!

 7)「水」・・・僕はだいたい1LあればOKでした。2Lぐらいもっていっておいた方がベターでしょう。ほとんどの人はペットボトルに水をいれバッパーの冷凍庫で凍らせてもっていってました。ただ僕は疲れているときに、冷えた水を胃にいれるのは体が悲鳴をいってしまうと思ったので、凍らせることはありませんでした。足りなかったら他の人にもらいましょう。

 8)「食料」・・・ビスケットやバナナなど即効性のあるものを持っていっときましょう。休憩があるのでそのときに食べるとうまいし疲れがとれます。飴なんか舐めながらやるといいと思います。フルーツをいきなり食べるのもあり☆汚いと思う人は、明日もっていく分を確保しといて宿で洗って当日食するといいでしょう。もち晩御飯の材料にしてもOK。どうせ収穫時に熟れうれのものは、商品価値はまったくありません。がんがん持ちかえれます。

万全の準備を整えて、仕事初日を待つことになる。

[Vol.3へつづく] | [このページトップへ]

ピッキング Vol.3

 いよいよ仕事初日。眠いのを我慢して起きあがる。外はまっくら。相方は今日は仕事がないので、熟睡中。そんななかガタガタ音をたててライトつけて仕事の準備をするのは気がひけた。初めは日本人なのかそんな感じだったが、のちのち長く居座るにつれて、その辺はお互いさまなので、できるだけ音をたてないようにとか気をつかいながらも、堂々と準備するようになっていた。このとき回中電灯が役にたった。が、急いでいるときやどうしようもないときには部屋の電気をつけることはよくあった。もともとそんな生活ができないなら、ここでの暮らしは不可能なのだろう。
 ファームに向かうバスに乗り込んだ。おいおい舗装された道路内では対向車と行き交えないぞと思っていたが、ここは時速100キロの標識が。おいおい、すげーよオーストラリアと感じた。そのうち当然対向車がくるのであるが、舗装されていない路肩に片輪だしながらブレーキを踏むしぐさは見うけられなかった。おぉ刺激的。
 さーファームへ到着。するといろんなバッパーからの人達そして個人の車できている人達がそこにはたくさんいた。個人の車できている人達のなかには、老夫婦も。仕事がなれたころに、いろいろお話ししてると、息子が札幌に料理人の修行をしてたよって。この夫婦は定年退職後二人でピッキングとかしてかせぎながら、オーストラリアを回っているんですって。なんて仲良くて素敵なご夫婦かと思った。(オーストラリアにきていろんな国の人とお話ししてきたが、親が息子が自分が仕事や勉強そして当然観光といった具合で日本にいったことがある人がたくさんいたのが印象的。)
 なにがなんだかわからないまま、トマトのピッキング作業が次々とはじまっていった。ボスが領域を次々と割り当てていった。新米の僕とかは、後回しで最後の最後に場所が決定。僕の泊まっていないバッパーから日本人が何人か来ているので、話をしながら情報交換。経験者は一様に声をそろえて、このファームはハズレだと。何がハズレかというとこのファームはバケツ1杯1.5ドルというバイト料のようだ。げーーそんなこと聞いてねぇ〜作業領域が割り当てられたあとに、どんなトマトを採ればいいかを簡単に教えてもらって、いざスタート。いままで消費者としてトマトをみていた僕としてはどうしても、赤っぽいトマトを採ってしまう傾向がある。そのため、ボスが僕のバケツの赤いトマトを指して「くそ」って。つまり「これは採っちゃだめだ」「くそみたいなもんだ」ってわけだ。ボスはたくさんの日本人を相手にしているから、いろいろ日本語をしっている。ちゃんとしたトマトを採っていると「よし!」と親指を立てて声をかけてくる。 そんなボスは僕のことを「シンタロウ」と呼ぶようになった。話を聞いているとどうも、ボスは「勝新太郎」のファンらしい。居合のような物真似 を見せてくれたりしてた。おもろいボスだったので他の日本人からも結構人気があった。
初日は要領を得てないのでバケツ数がすくなかった。。うわー。こんなんじゃ、ぜんぜんかせげない。しかし、1回でなんとなくコツがわかった。

(テク1)空バケツにはじめ適切なトマトを、途中緑のトマトでもがんがんいれ、最後は再高級のものを。
(テク2)そこそこほどよいトマトをバケツにいれ、7割、8割たまると、空のバケツにいっきに移しかえる。そうすると、バケツ10割に。

(テク1解説)まず最後に再高級のものをいれとくのはボスがチェックのためテクテク歩いてみまわっている。そのときに注意されないように。あと空バケツにはじめちゃんとしたトマトを入れるのは、バケツからトラックに投げこむとバケツの底のトマトが最後にコロコロ転がっていく。そのときにトマトが緑とかだと、注意されるため。
(テク2)これは単純で出来高制なため、早くバケツ1杯完了させるのが目的。一気にバケツに移し変えることで、空洞がたくさんできるのだ。

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サーフィン


※左から順番に、「バイロンベイ」、「オッキー(左)とマルゴ(右)」、「ケアンズのレストラン広告」、「ベルズビーチ」、「ベルズビーチのサーファー」

 正直オーストラリアでいっぱいサーフィンしたかった。が、結局 サンシャインコーストのサンシャインビーチ(ヌーサヘッズの南)でのみとなった。ヌーサの宿がたまたまサンライズビーチの真ん前だっただけだ。そして、たまたま宿にボロボロのショートボードが置いてあった。あまりブレイクしていなくていまいちのコンディションだった。と、あっけなくオーストラリアのサーフィン経験は閉じることに。さほど後悔はしてない。なぜなら、まだまだビギナーな分類の僕としてはサーフィンは宮崎でもできる、それ以外の経験をこの土地でやりたいということが大きかったからだ。

 さて、オーストラリアとえばサーフィンのメッカである。この土地のサーフィンブランドといえば、「QuickSilver」、「RipCurl」、「Manbo」ってな具合に有名ブランドがたくさんある。(とかいって、RipCurlとManboはここにくるまで知りませんでした。てっかもともとサーフブランドあんまり知らなかったし。。。)東海岸の街ではいたるところで、これらのブランドの衣類を見に付けた人がいた。そして、みんな原色系+パステル系の組み合わせのものが流行っている状況。僕はこの生活を貧乏旅行にすると決めていたので、ずっとそんなものを買う気も予定もなにもなかった。けどその我慢が一気に解き放たれて、ある時期にTシャツ、海パン、Tシャツ、リュック、Tシャツ、パーカーといった具合に買い漁る結果に。どれもクールなんで買ってよかったとおもっているものばかりだ。
 また、ビーチでは子供達ばボディーサーフィンしてたり、すっごいちっちゃくたキュートな板を持ち歩いていたりと、あらためてサーフィン大国である所以を知った。宮崎なんかほとんど大学生以上のサーファーばっかりだ。(もちろんちびっこも何人かいるけどね。しかも、うますぎの子とかね。)

 ある日、ブリスベンで街を歩いているとサーフショップのチェーン店がオープンするということでプロサーファーが来るって。名前もみても「Slater Kelly」「Rob Machado」ぐらいしか知らない僕はどれくらい有名なのか知らなかった。登場したのは「Occy」と「Margo」。後に「Occy」がすごく有名であることをしった(^^;; サイン会があったのでポスターにサインしてもらい握手を両人からしてもらった。サインを書いてもらうとき少し時間があったので「宮崎って知ってる?」って聞いてみると「行ったことあるよ」って。「また来てね」って言っておいた。宮崎恐るべしと実感。

 とまぁ、サーフィンはほとんどやらないにしても「観光スポット=サーフィンスポット」の構図が東海岸ではなりたっていたので結局次のようなスポットにいくことに。一瞬しかみてないとこもあるけど^^;;
サンシャインコースト周辺、ゴールドコースト周辺、バイロンベイ、ホリデーコースト周辺、マンリー、ベルズビーチ、フィリップアイランド。
サンシャインビーチ・・・サンシャインコースト。ヌーサの南側に位置する。僕が唯一サーフィンしたところ。南北にビーチが永遠に続いているところ。たまたま泊まったバッパーがこのビーチの真ん前だった。
サーファーズパラダイス・・・天気が悪くていまいちビーチはよくみてない。バッパーには板もった人がたくさんいた。みんな宿から海へ。うらやまし〜。
バイロンベイ・・・YHAに泊まっていたサーファーと一緒に、タロウビーチへ。といっても僕はYHAで借りたBBをやってた。ここはショート向きみた。観光でケープの方にいくときにザパスが見えた。ここはスゴイ。長く連なったうねりがじょじょに崩れていく。ロングの人がたくさんいた。てっか、多すぎ。
コフスハーバー・・・マトンアイランドのちょい北あたりでみんなやってた。
マンリー・・・初めてみたビーチがここだったがすごいきれいだった。波はフラットでだれもしてなかったけど、船を下りたところから、ビーチまでのとおりに結構いろんなサーフショップがあったはず。
ベルズビーチ・・・グレートオーシャンロードのツアーの途中、ベルズビーチが含まれていた^^らっきー。サーフィン保護区であるだけのことはあるなぁ。
フィリップアイランド・・・ペンギンパレードみにきたときにちょこっと、サーフィンはみてないです^^;;

次にオーストラリアいくときは是非パースにいって、ドルフィンスルーして海面へ顔をだすさい、徐々にキレイな夕日がでてくるのを体験したいなぁ。

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フォンカード

 オーストラリア生活で日本と連絡するには、メール、電子メール、電話といった方法が考えられるが一番便利なのはやはり電話。当然、国際電話となりコストが結構かかってしまう。到着したときにシドニー空港から公衆電話で国際電話をかけたがバンバンコインがなくなっていった。そんなときに使えるのが「PHONE CARD」。これは簡単にいうと、日本ではレンタルビデオやAVビデオやとかに置かれている2ショット電話のカードを思い出してもらえばいいだろう。(って、そんなのわからんって(?))
 そんなものの存在は知っていたが利用の仕方はまったく想像できていなかった。とりあえず、アコモの隣りのケバブのお店で売ってるって聞いたので買うことに。で、おっちゃんにこれどうやって使うの?って聞いてみると「知らない。」って。おいおい、おっちゃん売るんだったら使い方ぐらいしっといてよって内心つっこんだ。どうも息子が知ってるみたいなので、帰ってきたときにまた聞いてくれってことだったので、あとからまた伺った。
 使い方はこうだった。

[使い方]
1)「1300−×××××××」とフォンカード会社の市内局番(1300)もしくはフリーダイアル(1800)もあるかも。へ電話。
2)利用者ナンバーを打つように要求されるので、購入したフォンカードの利用者番号を入力
3)その後、電話したい相手先の番号を入力。

 フォンカードのコストを考えたがおそらく宮崎から東京に一般電話回線で電話をかけたときより、オーストラリアから東京に電話をかけた方が安いかも。(逆に、日本の携帯電話への電話は一瞬でなくなる。)というのも「SAY G'DAY」のフォンカードは1分9セントだ。1ドル75円で換算すると、1分約7円ってことに。ちなみに「10ドル」「20ドル」「30ドル」用って感じでコンビニ等で購入することができる。

 また、国内電話をする際も安いフォンカードがあるみたい「Telstra」とかがそうなのかなぁ。使わなかったが、アコモ、バスそしてツアーの予約を行う機会が多かったので購入すればよかったとちょい後悔。

「SAY G'DAY」カードにはよくお世話になりました。が、このカードには落とし穴が、、、

SAY G'DAYカードの落とし穴

 このカードは「1分9¢」と日本へかけるには最安値のレベル。(どうも他に単位当りのコストが安いものがあるみたいだが。)が、このカードの使い方はちょっと気をつけたいところがる。この「SAY G'DAY」には1回電話をかける毎に手数料みたいなものがあることだ。たぶん「66¢」だったはず。そうすると、場合によっては「SAY G'DAY」カードじゃない方が安い場合があるのだ。
 下記[例1]をみると10ドルのカードを購入して何分日本に電話をかけれるかの表である。10ドルのカードで一気に使い果たす場合103分通話することができるのだ。
 下記[例2]をみてみると10ドルのカードを購入して何回かけても90分日本へ電話をかけれることがわかる。
 結論としては、1回の通話の長さによって一番お得なフォンカードが変わってくるということ。これは各人の使い方で決めればいいだろう。長電話する人は「SAY G'DAY」カード、何回も電話をする人は1回の通話毎に手数料がいらないフォンカードといった具合に。

[例1]SAY G'DAYカードの場合
1分あたりのコスト:9¢
カード:10$
その他:66¢
――――――――――――
利用回数 |利用可能時間
――――――――――――
1回   |103分
――――――――――――
2回   |96分
――――――――――――
3回   |89分
――――――――――――
4回   |81分
――――――――――――
5回   |74分
――――――――――――

[例2]その他のカード
1分あたりのコスト:11¢
カード:10$
その他:なし
――――――――――――
利用回数 |利用可能時間
――――――――――――
1回   |90分
――――――――――――
2回   |90分
――――――――――――
3回   |90分
――――――――――――
4回   |90分
――――――――――――
5回   |90分
――――――――――――

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ウルル


 今日の「世界ウルルン滞在記」では韓国にいっていた。オーストラリアではよく韓国人の友ができたが、彼らがいってたとおり韓国では僕には考えられないが「食事の時に私語は慎む」「目上の人に助言」を行わないなどいろいろなことが儒教社会として根強く残っているようだ。しかし、彼らニュージェネレーションはそういったものを打破していきたいみたいだ。そして、僕は彼らから「韓国じゃ健太郎みたいに年上の人にアドバイスをしてはいけないんだけど」と前置きして恋愛のアドバイスを1月1日アデレードのビーチで受けていた。オーストラリアにきて誰にも恋愛の相談なんてできなかったが、ちょっと頭すっきりした。

 って、それはウルルンでウルルじゃねーよ。(とりあえず、時間差突っ込みを)ウルルにはマカファティーズのバスパスについているツアーで参加した。アリスからエアーズロックリゾートに向かう途中 平原(砂漠?)の中にポツンとでっかい物体があらわれてくる。ほほー これがエアーズロックかぁと思いきや。マウントコナー。確かにいろんなガイドブックや絵葉書でみたのと形は違うが、あれだけでっかい山がポツンとある姿はエアーズロックをみなくても正直ちょっと驚いた。(正直あれはみんな間違えるだろうなぁ)

 エアーズロックには感動させてもらった。が、情報がいろいろ耳に入りすぎたのか、期待しすぎたのかちょっと物足りなくも感じた。それにもまして、期待以上の感動があったのがマウントオルガ(カタジュタ?)あのイビツな形には驚かされた。エアーズロックリゾートにきたらマウントオルガも是非おすすめ。

さてエアーズロック登山に向かった。が、天気予報が雨だったため。登山はできなかった。(アボリジニー人の聖地なので登ることをやめようかとも思っていた時期があったが、あの上からの景色を想像したら登りたいという感情がふつふつと沸いてきた。これにはいろんな人の意見があることでしょう。)で、登山できない間の2時間どうしうようかと。結局1周まわった。が、僕は3時間みといた方がいいということを知らずに、ちんたら(宮崎弁?)歩いていた。途中で一緒に歩いていた友達がその旨伝えてくれたが、初めにゆっくり歩いたつけがまわってきた。あと5分で2時間にバスがアソコにみえるけどー 無理だぁ。てなわけで、公道でヒッチハイクをしてなんとか間に合わせねばと。レンジャーが逆向きに走っていたけど、立ち止まってくれたので、事情を説明してバスまで連れて行ってもらった。いやーエアーズロックのでかさは身にしみて感じさせてもらった。

※後日、アデレードの郵便局のおばちゃんと世間話をしてるときにおばちゃんの息子がエアーズロックでレンジャーしてるって。助けてもらったのが息子さんかもねって。二人で笑っていた。

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ドライブ

オーストラリアは日本と同じで左車線の運転。車も基本的に右ハン。僕は一度だけアサートンででっかいフィグツリー(いちじくの木)をみにいきたかったので、車をレンタルすることにした。いちおうツアーの企画もあるみたいだったが、週1とかの実施でシビアなスケジュールでは難しかった。というのがレンタルした理由だ。レンタルとHerts(だっけ?)とかいろいろ世界的に有名なレンタル屋があったけど、僕が泊まっていたバッパーが車のレンタル屋も経営してたので、そこで頼むことに。顔見知りになってたので、保険内容を詰めるところも 何度も聞きなおしながら、決めていくことができた。また、そのおじさんは僕がいくよていだったParonella Park 周辺出身!小さいころよくParonella Parkにある橋の上から飛び込んだもんだと言っていた。(宿に帰って飛び込んだかぁっておじさんから聞かれて、飛び込んでないっていったら、「チキンだなぁ」って言われてしまった。。あはは)
 そんなこんなで、オーストラリアの公道に初挑戦!ちょっと日本との違いで気づいたことを!
ラウンドアバウト方式とよばれる交差点がある。
街中では歩行者優先の標識がいっぱい。これはみんな歩行者が近くにいるとぜったい止まってました。
カンガルー注意の標識がぁ。
T字路とかの「とまれ」は日本と同じかな。

○ガススタでは自分で降りて、支払いにいく。
○いまいちの舗装の道でも制限速度が100とか110とかあったりする。。。

とまぁ 日本での運転と 同じ感覚?で運転できるので、アクセスしづらい場所にいくときには、どんどん活用することで旅行や生活の幅が幾分も広がると思います。[2002/05/13]

ファイアダンス



ずっと、デンデケデンデケ音楽がなってるなかを 棒をくぐっていくものだとおもっていた。。。ビンボーダンス?のこととファイアダンスがごっちゃに。。。とまぁ、世の中にこんなもんがあることすら知らなかった。
 渡豪するまえから、 ワーホリの掲示板でファイアダンスやったりして、へーヒッチハイクしてて凍えそうになって死にそうになってたんだぁ なんて オーストラリアにはこんなツワモノがいるんだぁなんて思ってた。そんな人がすぐ近くにいたなんて知ったのは、シドニーに再び戻ってきてバッパーに2泊ぐらいしたときのことだろうか。も、も、しかして あのひと?ってことに。ビンゴー。へー オーストラリアって狭いもんだー なって思っていた。オーストラリア狭い話に、シドニーのお食事会?で出会った日本人の女の子と1ヶ月後ぐらいに、バンダバーグの公衆電話で電話してた僕の横をふと横切って「あーー」なんていってたりしたもんだ。あれもびびった。
 んでもって、シドニーから再び旅にでかける夜 にファイアダンスを披露してもらうことになった。ぜんぜんどんなものか知らなかったけど、正直すごかった^^これぞエンターテイメントって感じ。旅立つ前にいいもの見せてもらってうれしかった。いまではもっと上達してるようだし。このときのつたないラジカセの音楽ではなくて、いい音響の妖艶な雰囲気のなかでぜひまたやってもらいたいなぁ なんて思った。そんな彼はその後もバリに渡りいろんなお店で活躍しているようだ。そういえば、インドネシアのテレビ出演の話とかがあったとかいってたような。ちゃんと生きてるかなぁ??

中国パワー

 中国地方は「萩(松下村塾)」「秋吉洞」「宮島」「水軍」「出雲大社」「鳥取砂丘」「原爆ドーム」と歴史を感じさせてくれるエネルギッシュな土地だ。ってその中国じゃなくて、中期国債を中心に運用する公社債投信。中期国債ファンドはほぼMMFと同じ。現在はMMFよりも利回りが高いところが多いがが今後MMFの方が利回りが高くなる可能性がある。それは中国ファンドは中期国債を中心とした規制があるためだ。MMFと同じく元本割れする可能性があるのでどんな銘柄を組み合わせているかをチェックしておく必要があるだろう。
 ってその中国ファンドじゃなくて、ユーラシア大陸の中華人民共和国だ。いままで中国にイメージといったら「人口が多い」「自由経済に少しづつ近づいている。これから成長が見込まれる。」「中華料理がうまい」「宮崎の大学にもたくさん中国から留学生がきている」といったものだった。が、オーストラリアにいってからというもの非常にイメージが変わった。オーストラリアの著名な都市には必ずといっていいほどチャイナタウンがある。しかも規模がでかい。はっきりしたことは知らないが、東南アジアの各地にもたくさんあるのだろう。当然、日本の横浜、長崎、神戸といった街にも存在する。正直、中国パワーがすごいことは実感したし、この力強さに畏怖の念さえでてきた。
 単に僕がみた数人の中国人で中国人の気質を判断することはできないだろうが、したたかで生命力があり目つきがするどいと思うようになった。僕は生命力が高いことは人として重要な要素であると思うが、この「したたかな生命力」には抵抗が強い。日本人だからか「共生の中の生命力」こそ重要なのではないかと思ってしまう。逆にいうと日本人にはこの「したたかな生命力」が必要なのであろう。
 ってなんか自分でも何をいってるかわかんないことを書き初めてしまいました。中国と僕は何かと遠いような近いような存在。というのも、父が何を思ったか中国語を勉強しているのだ。その影響もあってか、僕もなんらか興味を持ち始めている。2008年北京オリンピックが開催される。これまでになんとか中国語が話せるようになって、北京にいってみたいものだ。

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囲碁

当初、オーストラリアで囲碁を教えてあげたりできればいいなぁ。なんて考えていた。ネットで調べてみると、オーストラリアの主要都市において定期的に囲碁サークルのようなものが開かれている情報は得ていた。ブリスベンに立ち寄ったときに、参加させてもらった。正直いって期待したようなものがなかった。活気はそこそこあったが何かが違った。いってみるとまず日本人につかまった。かとおもうと、なんか真剣に囲碁に没頭するというかんじ。。。えっ、そんなの日本でできるよ。って内心つっこみながら相手させていただくことに。どうも老後にオーストラリアに移りすんできた人のようだ。メンバーはオージーの方が多かった。そんな中、その日本人の方にとっては、日本語が話せる相手が増えたにすぎないようだった。勘弁してって感じ。また驚いたことに、そのサークルの中で日本人とオージーがまったくお話していなかった。うわー変なもんだ。また、僕がいったことでほとんど無反応だったのも、何か違うって思った。たいがいの場は溶け込んでいけるとおもっていたけど、ここは違った。

対局は日本人の方、中国系の方、オージーといったぐあいに計7局ぐらいうっただろうか。僕は対局するためにオーストラリアにきたんじゃなーい。とおもって、後半はずっと打たないゾ光線をだしつつ、超初心者(20級ぐらい?)の人に指導しているところでずっと聞いていた。いったい囲碁の表現を英語でどうやって行うのだろうかと。

もし今度参加することがあれば、お話をしにきたんだって初めにいうことにしよう^^;;

先を急いでいた僕はブリスベンを後に、バンダバーグへ向かった。

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なぜ帰ってきたか?

 10ヵ月ぐらいの予定が短いオーストラリア生活となった。どうして帰ってきたか?これはよく人から聞かれるし、自分でも本当にどしてか考える。そして、ここに総括することで今後の自分に活かせたらという思いで書き綴ってみたいとおもう。
 正直答えは一つではない。まず一つ目に変な達成感と壁があった。それは、あまり英会話ができないと思っていた僕が片言ながら自分の意思を相手に伝えることがちゃんとできるということである。これは自分に自信がもてた。また、ヒヤリングの壁が立ちはだかった。ヒヤリング力な無さは痛切に感じた。これは語学学校にいあったからすぐ身につくものではない。日本でできるのではないかと思った。今回のオーストラリア訪問は正直語学の向上と日本の外に出るというのがメインの目的だったし、僕の年齢から祐著に遊びながら、もしくは低賃金でピッキングをやりながら、語学を勉強できればという思いにはどうしてもなれなかった。昔みたいに稼ぎながら英語を伸ばせればという原点に戻ったのだった。僕はお金をたくさんもってるわけではないからね。この年齢になると両親のこと僕自信の家庭のことを考えると、どうしても貯蓄を考えながらのアクションを考えてしまう。
 これらが早々帰国した率直な理由であろう。正直、いまのうちにがんがんサーフィンやりたいという僕としては、帰国した方がサーフィン大国オーストラリアよりもずっとずっとサーフィン環境に恵まれているというのも帰国した理由のうちの一つである。

なんとなくまとめてみると、本当にいまの生活リズムでいいのか改めて考えさせられた。そして、今何をしなければいけないのか少し具体的になる気がする。

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